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古澤良治郎ベターデイズ・コンプリートBOX



日本ジャズ界で最も愛されたドラマー、そしてコンポーザー、古澤良治郎の日本コロムビア、ベターデイズ・レーベルにおける全軌跡がオーダーメイド・クラブで投票受付開始!

今回は2ndステージからの投票受付となります。
投票受付期間   6/3~8/31

DISC1. キジムナ 1979年
DISC2-3. 12 617.4km 古澤良治郎の世界 1980年(2枚組)
DISC4. あのころ 1981年
DISC5. フレンドリー 1982年
DISC6. たまには   1983年
DISC7. 良治郎さんの不思議な散歩   1991年

透明プラケース入り

価格  12.000円(税込)
発売元 日本コロムビア株式会社

6/27更新 特典決定!

古澤良治郎ベターデイズ・コンプリートBOXを
ご予約のお客様に冊子「古澤良治郎」をプレゼント!


1983年「アクトコーポレーション」より発行された「古澤良治郎」を再編集し、新たに寄稿していただき完成した「古澤良治郎」記録冊子です。


目次
●いきなり、お墓だぜ ……渋谷毅
●古澤良治郎の食べ方 ……奥成達
●古澤良治郎との、あの頃 ……山下洋輔
●「ラッコの神様」 ……三上寛
●良治郎、自作を語る ……古澤良治郎
●古澤良治郎・‘79~‘83 ……池上比沙之

■古澤良治郎年表
    ●「ありがとう!古澤さん」 ……廣木光一
■古澤良治郎ラストレコーディング
    ●第1集「たけし」
    ●第2集「まなぶ」 ライナーより ……明田川荘之
■古澤良治郎さんの事 ……川村年勝
■古澤良治郎の名曲演奏会


装幀:沢田節子
表紙絵:鮫島康斎
写真:菊地英二、富塚晴夫ほか
協力:島田正明、藤ノ木みか
編集:渡辺徹
編集:"sayonara" FURUSAWAsan 実行委員会/㈱林泉内

古澤良治郎(ドラムス)
1945年9月5日宮城県仙台市生まれ。
国立音楽大学打楽器科卒業。


在学中よりドラマーとしての活動を始める。卒業後、1969年、大学の先輩本田竹廣トリオに参加。翌70年には自己のグループを結成。以来、カルテット、クインテット、「良治郎バンド」 「パパラッコ・バンド」と編成、メンバーを変えながら、後年率いた「ね」「Ash」に至るまで精力的に活動、また新人の育成でも定評があつた。サイドメンとしても「板橋文夫トリオ」「山下洋輔トリオ+1」「渡辺貞夫カルテット」「向井滋春クインテット」「松風鉱一PORT」などのグループに参加。近年は、「渋谷毅オーケストラ」「峰厚介クインテット」「今村祐司グループ」などのグループでも活躍した。ジャズというフィールドにとらわれず、浅川マキ、三上寛、リー・オスカー、吉田美奈子、上々颱風、忌野清志郎、“PURI”などジャンルを越えたミュージシャンとも数多く共演し、 また「百鬼人形芝居どんどろ」「劇団1980」など異なったジャンルとのコラボレーションも積極的に行った。 山下洋輔をして「自分の呼吸そのもののようなリズムや、言葉の音程そのもののようなメロディー」と語らしめたように、シンプルで暖かな曲作りには定評があり、 自らのアルバムの他に、様々なアーティストへの作品提供、映画、演劇、TVCMへの楽曲提供など、数多くの名曲を残したコンポーザーでもあった。今後もその音楽性はあらゆる世代のファンに広く親しまれ続けるだろう。2011年1月12日死去。享年65歳。



キジムナ


<収録曲>

1.エミ(あなたへ)2.キムジナ(木の精)3.青い種族(トゥアレグ)4.暖かな午後5.ビーバー


<パーソネル>

古澤良治郎(ds),向井滋春(tb),高橋知己(ts.ss),大出元信(g),廣木光一(g),大口純一郎(p),大徳俊幸(key),望月英明(b),川端民生(b),PECKER(per)


<解説>

A面1曲目の<エミ(あなたへ)>の哀愁感漂うメロディ・ラインで古澤ファンになった方々も多いのではないかと思う。ドラマーのリーダー作でこんなにもメロディがアピールされているアルバムがあるだろうか。ソロをとる高橋知己(ts.ss)、廣木光一(g)、向井滋春(tb)たちもフレッシュな演奏を繰り広げる。その各曲タイトルからも想像できるようにジャズのスピリットを持ちながらも癒しの世界が漂う。ジャケットいっぱいに絵が描かれたイラストも古澤良治郎そのものだ。

1979年作品



12 617.4km 古澤良治郎の世界(2枚組) 


<収録曲>

1.ラッコ 2.クム・クム 3.ユー・ウィル・ビー・フリー・トゥナイト 4.青森県北津軽郡東京村 5.三上工務店 6.エインシェント・マリーナ ~ ラッコ 7.できたよ、ねーママ 8.ノスタルジア ~ キョン 9.北 10.エミ 11.暖かな午後


<パーソネル>

古澤良治郎(ds),三上寛(vo.g),本多俊之(as),高橋知己(ts.ss),向井滋春(tb),廣木光一(g),渡辺香津美(g),明田川荘之(p),山下洋輔(p),大口純一郎(p),大徳俊幸(key),望月英明(b),川端民生(b),森山威男(ds)


<解説>

1980年1月からスタートした全国ツアーの中、4/27東京 日本都市センター・ホールでのライヴ録音。アルバム・タイトルは全国38ヵ所に渡るツアーの全行程距離数。古澤の持つソング・ライティングの魅力はA面の1曲目<ラッコ>での小学生たちの合唱によってよりナチュラルな世界がアピールされることになる。そして、山下洋輔が参加した美しい世界。渡辺香津美の演奏も古澤、山下との共演により、いつもとはまた違う味を聞かせる。長年デュオ活動を続けた三上寛との共演が収録されているのも魅力だ。

1980年作品



あのころ/良治郎バンド&リーオスカー


<収録曲>

1.IMA HARU 2.BOOGIE MAN LIVES IN TOKYO 3.KANA KANA 4.KYON 5.SONG FOR MARJORY 6.ANOKORO


<パーソネル>

古澤良治郎(ds),LEE OSKAR(hca),高橋知己(sax),大出元信(g),廣木光一(g),佐山雅弘(key),大口純一郎(p),川端民生(b),PECKER(per)


<解説>

古澤のヒット・アルバム。プロデューサーの川村氏のコメントにあるようにこのアルバムからWARのハーモニカ奏者リー・オスカーとの交流が始まった。古澤のリズムとメロディが どんどんジャズの世界を超えていく。1曲目の「いま春?」のメロディはどうだ。歌詞をつけて口ずさみたくなる名曲。そして、日本ジャズ史に残る名盤。

1981年作品



FRIENDLY/良治郎バンド&リーオスカー


<収録曲>

1.いま春? 2.BLT 3.約束の地 (I REMEMBER HOME) 4.MY ROAD 5.OUR ROAD 6.あのころ 7.BURNING CLOUD


<パーソネル>

古澤良治郎(ds),LEE OSKAR (hca),高橋知己(sax),佐山雅弘(key),大口純一郎(p),廣木光一(g),大出元信(g),川端民生(b),PECKER(per)


<解説>

前作「あのころ」を受けて来日したリー・オスカーとの六本木ピットインでのライヴ録音。ハート・ウォームで哀愁感漂う。すでにジャズの殻を破っていた古澤だが、この頃ちょうど六本木ピットインが新しい音楽感覚のミュージシャンたちをバックアップしていたこともあり、六本木ピットインの伝説的なライブは数多くのミュージシャンたちによって録音されている。

1982年作品



たまには


<収録曲>

1.ONCE IN A WHILE IN NISHIOGI 2.WAN-NYAGO 3.TWILIGHT CHIME 4.DANCING 5.PEAK WIND 6.MOONLIGHT SLUMBER


<パーソネル>

古澤良治郎(ds),峰厚介(ts.ss),向井滋春(tb),廣木光一(g),大出元信(g),山岸潤史(g),佐山雅弘(key),大口純一郎(p),川端民生(b),高橋ゲタ夫(per),小泉権七(per),吉田美奈子(cho)


<解説>

全2作がリー・オスカーとの共演だった為に久しぶりの古澤サウンドが満載の傑作盤。1曲目の「たまには西荻に遊びに来ませんか?」は古澤がずっと暮らしていた西荻窪に因んだ曲。全体を通じて、古澤メロディーにカラフルなサウンドが入り混じる。吉田美奈子もコーラスとして参加し、彩りの濃い内容となっている。峰厚介のプレイもグルーヴィ。

1983年作品



良治郎さんの不思議な散歩


<収録曲>

1.愛しい娘へ 2.あそこはそこから遠くない 3.犬うしろむき 4.ポカポカ 5.雲の綿菓子 6.森の人 7.木の葉のように 8.朝


<パーソネル>

古澤良治郎(ds),廣木光一(g),渋谷毅(p),山貫憲彦(computer),峰厚介(ts),中村善郎(g),亀淵友香(vo),小笠原みゆき(vo),津村和彦(g),千光士実(per),藤ノ木みか(per),羽生一子(per),山岸潤史(g),仙波清彦(per),梶原茂実(per),植村昌弘(per),田中顕(per),瀬木貴將(zam),小川美潮(vo),西川郷子(vo),レイチ(vo),吉野弘志(b),高島平第五小学校音楽隊・伊原福富(教諭),川村塁(vo),Lee Oskar(hca),上村勝正(b),酒井泰三(g),田中倫明(per),津上研太(sax),臼庭潤(sax),川端民生(b),大口純一郎(p),大出元信(g)


<解説>

90年代に入って制作されたセッション・アルバム。プロデューサーの川村氏が復活して再びプロデュースに当たったアルバムでもある。古澤を敬愛する数多くのミュージシャンが参加している。リー・オスカーとのバラードから小学生の合唱を使った優しいメロディ、そして山岸潤史との共演まで収録。この後、たくさんのアルバムや音楽活動を続けたが2011年1月12日、古澤良治郎は不思議な散歩に出かけて帰ることはなかった。

1991年作品

1.古澤良治郎CD-BOXについて

70年代の末期、古澤良治郎は知名度が低い、そして地味なイメージがあって、なかなかレコードを作ることに苦労していました。
日本コロムビアからレコード制作のために採算分岐点として示された数字は、それまでの実績の倍でした。しかしデビュー作以来、着実にファンを獲得してきたことを思えば、頑張れば難しい数字ではないと考えました。
例えば「キジムナ」(木の精)と云う曲名にしてアルバム・タイトルの発想は斬新だったし、収録曲の「トゥアレグ」(青い種族)のリズムパターンも奇抜でした。既に民族学を極めつつあった古澤の頭には従来のジャズのフォームに拘らない旋律が浮かんでいたのです。ずっーと後の、ワールドミュージック・ブームの先駆けでした。
「キジムナ」は望月英明(ウッドベース)と川端民生(エレキベース)のツインベースにメロデーを弾かせるという新しい試みで、サウンド作りも録音も難しかった。両ベーシストのホジティブな音楽観が功を奏したのかもしれません?
録音をしながらこれまでの作品以上にセールスする作戦を考えていました。
デビュー作の「ユウ・ウォナ・レイン」、それに続く「ラッコ」「スパイシー・アイランズ」の実績から、30カ所以上のツアーを組んで一カ所100枚で合計3,000枚、そんな皮算用でした。
そして、ツアーの蓋を明けてみるとあにはからんや、A面一曲目に入れた「エミ」が大評判でした。優しいメロデイー・ラインに美しいコード進行のアドリブ、まるであらかじめ書き込まれたメロディーを吹いているような演奏は、それまでジャズを難しい音楽と考えていたファンにも、とても親しみを持って迎えられていきます。
事務所がツアーで販売するために買い取ったLPの売れ行きも良くて、胸を撫で下ろしたものです。
とにかく、大冒険でしたが38カ所のツアーを強引に敢行したことが、古澤を全国区にしました。何しろ、一度、古澤メロディーを聴いたら忘れられない、それほど印象的な音楽だったのです。それから、似顔絵をイラストにしたジャケットも印象的で、その後の古澤の「顔」になりました。
また、当時のコロムビア(ベターデイズ・レーベル)は活気に溢れていて、制作、録音、宣伝、営業とスタッフ一丸でした。会長だか社長が気に入ってくれたのも大きかったらしい。
この成功で、次の作品を作ることが決まりましたが、全国ツアーで自信を深め、揺るぎないサウンドが出来上がっていましたから、東京の都市センターホールでのコンサートをライブ録音することに決定、これがレコード「12,617.4キロ」として発表されます。このアルバムの成功は、山下洋輔、森山威男、向井滋春、明田川荘之、渡辺香津美、本多俊之などのゲストの充実も大きな要因でしょう、何しろ当時の日本ジャズシーンのバリバリが勢揃いしてました。勿論、毎月1回デュオ共演をしていた異色のフォーク・シンガー三上寛の参加も見逃せません。それから、古澤さんのメロディーを小学生に歌ってもらうという発想が斬新でした。洗練された児童合唱団のイメージではなく、校庭や野原を駆け回る自然児の声を取り入れたい。事務所設立時にバイトで出入りしていて、当時は小学校の音楽教師だった伊原先生に頼んで東京の荒川区立赤土小学校の児童に参加してもらいました。この試みは、のちに、伝説となる古澤良治郎、リー・オスカーの赤土小学校コンサート実現へと繋がっていきます。
古澤良治郎とリー・オスカーの共演は名作「あのころ」そして「フレンドリー」として記録され、以後、リー・オスカーはしばしば来日して、古澤とツアーやセッションをおこなっていきます。この二人の友情はこれからも語り継がれていくほどに固いものでした。
古澤は大学進学のために生地・仙台から東京・西荻窪へやってきましたが、以後、50年近くも西荻窪の地に住み続けました。
よく、打ち上げを西荻窪駅前の「庄屋」でやりましたが、当時「庄屋」の店長が古澤さんの大フアンで、ライブは来てくれるし、LPは自分の店の客にも薦めてくれる、店長以外にも周りにはそんな人が沢山居ました。西荻の街を歩けば「古澤さーん」と声がかかります。後に、後に西荻窪をテーマにしたレコード「たまには」(たまには西荻にあそびにきませんか)に発展するのも当然のことでした。
こうして、一連の作品を聴いていくと、改めて、古澤の音楽の豊かさ、美しさ、愚直なまでの真面目さをひしひしと感じます。
これらの作品は個々にも優れた作品ですが、今、こうしてBOXとして古澤良治郎の絶頂期をとらえた貴重な記録を手にすることが、どんなに幸せなことであることか。是非、実感していただきたいと希望しています。

川村年勝
(当時、古澤良治郎が所属していた事務所の代表で、マネージメント及びアルバム制作を担当した)

2.ドラマー古澤良治郎

ドラマー古澤良治郎が優れたコンポーザーとして開花したのはベターデイズレーベル(日本コロムビア)がベースにあったからと云えます。短いメロデイーに情景や物語が織り込まれた作品はフュージョン真っ盛りのジャズシーンに涼風が吹き抜けた爽やかさがありました。

古澤良治郎の代表作「キジムナ」や「あのころ」が発表された1980年代前半の音楽界はまさにLP時代からCD時代への変換期でした。即ちそれまでのアナログ方式録音からコンピューターを駆使したデジタル方式に変わる狭間だったのです。
当代随一を誇ったベターデイズレーベル録音スタッフは連日のように運び込まれる新型機種との格闘の日々でありました。
大型コンソールやマルチトラックレコーダーが取り外されてコンパクトなスタジオに様変わりする現実を見ながら、彼らの実験的テイクに朝まで付き合った時代が蘇ります。 特にブルースハープの王者リー・オスカーを迎えて録音された「あのころ」の録音風景は今思い出すと滑稽でした。
アナログの申し子のようなリーがこれまたアナログしか信じられない古澤に向かって「何か気に入ってるリズムパターンを叩いてくれ!」
全く先の見えない要望に戸惑いながらも、古澤がリズムパターンを叩く事数時間、パターンを叩く度に「違う」とか「もう少し」とか「近い」とか「いい感じ」とか云っていたリーが、突然!「良し!。今のリズムにメロデイーを乗せてやってみる」と言い放って録音ブースに入り、ハープを取り出して吹いた第一音が余りにも迫力があって、立ち会っていた全員が驚愕した風景が思い出されます。

傑出した作品集がボックスになるのはこの上ない歓びであります。

川村 年勝

"sayonara" 古澤さん
そして古澤さんを育ててくれた東北復興の願いを込めて

我らが愛すべき古澤さんの突然の訃報から三ヵ月が経ちますが、今は大好きだった西荻を散歩していた時のように、天国の町並みを”ブラリブラリ” かもしれません。
この度、偉大なドラマー、バンドリーダー、そして作曲家であった古澤さんが遺した名曲の数々を聴く会を以下の通り行います。皆さまのご来場を心よりお待ち申し上げます。

2011年4月"sayonara" 古澤さん 実行委員会

古澤良治郎・名曲演奏会


■日時: 
2011年6月18日(土)15時開演 / 22時終演予定
■場所: 
新宿ピットイン 問)03-3354-2024
■出演: 
渋谷毅、山下洋輔、大口純一郎、峰厚介、坂田明、松風鉱一、向井滋春、望月英明、藤井信雄、三上寛 (敬称略)他多数
■音楽進行: 廣木光一
■入場料: ¥3.500-(ワンドリンク付き)


→満員御礼 ご来場ありがとうございました
レポート等、後日こちらのページにアップいたします。(外部サイト)

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